TL;DR
ビジコンはROMに電卓用マクロ命令を格納する電卓を製作していたが、それとインテル4004が決定的に違ったのは、演算用と制御用のLSIを1つのプロセッサとして「合体」させたこと、らしい。
ビジコン案からインテル案へ
Intel 4004のWikipediaのページの歴史の項目によるとビジコンが当初インテルに依頼したのはマクロ命令による制御で10個前後のチップだったが、インテルのテッド・ホフ氏がチップの種類を削減するためにソフトウェア制御できる汎用チップの製作を提案したことになっている。
マイクロコンピュータは誰が創ったの?によると、ビジコンの電卓はROMにマクロ命令を格納していたが、インテルのテッド・ホフ氏がソフトウェアという概念に置換したと書かれている。
それではマクロ命令とソフトウェアの違いとはなんだろう?
マクロ命令を採用していたビジコンの電卓について嶋正利さんのWikipediaのページの4004の項目には次のように書かれている。
1968年の秋に、LSIは未使用であるがプログラム論理制御の「ビジコン162P」を完成させ、新方式への理解を深めていた。
このビジコン162Pの構造が世界初のCPU「4004」開発回顧録(2) | 日経 xTECH(クロステック)に載っていた。
一方、世界初のCPU「4004」開発回顧録(6) | 日経 xTECH(クロステック)には次のように載っている。
プログラム制御用LSIと中央演算ユニットLSIの2つのLSIを1つのプロセッサ(ARU)に置き換えるために,ホフの提案した命令セットでは2つのROMが追加となる。
つまり、それまでのビジコンの電卓では演算用と制御用の2つのLSIで制御していたところを、インテル案では1つのプロセッサとして「合体させた」ことがポイントのように思える。